プロフィール

tomoasa

Author:tomoasa
1957年12月生まれのおじさんです。
2010年9月急性リンパ性白血病。フィラデルフィア染色体異常あり。寛解導入療法により寛解を得て、2011年春骨髄バンクから骨髄移植。退院後も出血性膀胱炎や肺炎による3度の入院を経験。2013年6月2年9ケ月ぶりに復職。その後も2014年7月両眼白内障となり手術(日帰り手術)。
2014年8月口腔がん(歯肉がん)と告知される。2014年9月手術。2014年10月初旬退院。
2014年12月紅皮症となり入院。12月末に退院。
2015年7月入院(気管支炎)、2015年9月肺炎により入院。
移植後も体調不良により入退院を繰り返しています。

又生まれた時に股関節脱臼。
整形外科に定期的に通っています。


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胃瘻、人工呼吸器 リビングウィルに書くべきこと


記事を読んでやはりそうだ
よねという感想を持つ。

現代ビジネス記事
現役医師200人に聞いた
「本当は寿命を縮める」延命治療
現役医師200人に聞いた「本当は寿命を縮める」延命治療

個人的には延命治療を拒否
する旨のリビングウィルを
書いて自筆署名してある。
その中には
胃瘻は拒否、
人工呼吸器についても拒否、
但しすでに装着されている場合
は自発呼吸が48時間たっても
戻らない場合は外してください。
と具体的に記している。

医者も同じように考えている人
が多いが、死なせないことが仕事
であるので残る家族の希望等で
無駄と知りながら延命の医療行為
を行っていると言える。

しかしリビングウィルが法制化
されていない現在では書いて
おいても最後は医師の判断に
なるので早く法制化されることを
望む。
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「リビング・ウイル」作成済み


随分前になるが紹介したリビング・
ウイルの例文を自分の今までの
状況や現在の気持ちで一部加筆
修正し自分用に作成した。

自分の署名、捺印とともに家族
の署名欄があるので妻に見せて
内容を理解してもらった。

妻自身も延命治療は望まない、
「ピンピンコロリ」希望派であり、
ついでに妻自身もリビングウイル
を作って欲しいというので文章を
少し修正して妻用にも作った。
私のものには妻が妻のものには
私が署名した。

署名後に両親共にこういう事が
書いた文章を作ってあると長女
にあることを見せた。

自分も思うのであるが、親は
自分の子供に対しては最後
の時一番延命を望むのでは
ないか想像される。
これは当然の事なので、自分
の親を説得あるいは納得させて
おくことが最大の仕事と考えた。

親に見せると自分達も同じで
延命治療は望まないという事
である。
リビング・ウィルのサンプルも
持って行ったので必要ならば
サインするように言う。

親子で死ぬときや死んだとき
の話をするのは難しいのです
がこういうことをきっかけに
自分の希望を言い、合わせて
親の希望を聞けたのは良かっ
たと思う。

扱いが難しい問題であるが
避けて通れないし、その時は
既に聞けなくなっている可能性
もあるので今しかないのである。

QOD 覚悟が後悔を少なくする


がんサポート
がん哲学 樋野先生の記事
がん哲学「樋野に訊け」 8 今月の言葉「雨は誰にでも降る、大切なのはその時にどう対応するか」

がん哲学には少し前から興味を
持っていました。

今回の記事はQODについてで
これも前から興味を持っていた
事です。


以下引用
人生最期のひとときの過ごし方
を自分で考えて決定したにも
かかわらず、死に直面したとき
に程度の差はあれ、後悔が
残っている。
これはどういうことでしょうか。
私は最期の生き方を決定した
ときの判断に甘さが残っている
のではないかと考えています。
つまり、自分自身の選択に
ついての覚悟が足りない、
ということです。

人間には後悔が付き物だと
思っています。
後からあの時、違う道を選らん
でいたらと思うこととかです。

がんになり治療方を選ぶ、
結果がどうあれ自分で納得
して選んだのあれば責任は
自分です。
他人に言われるがままであれば
結果が悪いと愚痴が出ます。


QOD(Quality Of Death)に
関しても同様。
リビングウィルを書く、その時に
どれだけの覚悟があるのか?
死ぬ間際に後悔しないために
覚悟を持って決めておくことと
それを家族と共有しておくこと
が重要。

全体直ると強い気持ちを持つ
事は最重要ですが、上手く
進まないばあいでも、自分で
覚悟も持って選択したという
事が最後の支えになると
思います。

「リビング・ウィル」の問題点とリスボン宣言


最近書いているQOD関連。
「リビングウィル」についても
書きましたが問題点もあります。

問題点は次の3つが考えられる
とのこと。
1.法制化されていないこと
2.終末期及び延命処置の定義が
難しいこと
3.家族の心情

1. 法制化されていない
アメリカやオランダでは安楽死・尊厳死
が認められていますが、日本では認め
られていません。
自分の意思を“リビングウィル”という形
で書面に残すこと自体まだ一般的では
ありません。
現在のところ日本では、リビングウィル
は嘆願書程度の位置。
法制化されていないということは、もし
医師が、リビングウイルに従って延命
治療を中止し、生命維持装置を外した
なら、現行法においては同意殺人罪に
なります。
家族が依頼したのであれば、家族は
殺人教唆という罪。
本人の尊厳を重んじてあげたいという
気持ちは仇となってしまう可能性がある。

2. 終末期及び延命処置の定義が難しい
終末期とは、
「不治であり、且つ死が迫っている場合」
のことです。
しかし、
この「不治かつ末期」の定義と判定基準
が明確ではありません。
医師や病院によって医療水準が異なり、
判断が異なることもありえます。
また疾患の種類によって
「不治かつ末期」の状態も様々。
たとえば
植物状態の場合、不治ではあっても
末期とは言えません。
長期にわたる植物状態でも、若干回復
することがありえるという報告がある。

そして延命処置の定義
人工呼吸器、人工栄養、輸液など種々
の医療処置のうち延命治療とはどこまで
を指すのか、これも明確ではありません。
感染症の併発や誤嚥などを偶発的な
症状として処置を行なうのか、
原疾患によるものとして処置しないのか。
どちらなのか決めるとしたら基準はどこか。
画一的に線引きできない様々な状況が
想定されます。
医療従事者も明確に定義することは
難しいと言います。

3. 家族の心情
家族としては、愛する人にいつまでも
生きていてほしいと願います。
仮に植物状態でもいつか回復する
のではないか。

不治の病でも医学の進歩で治療法
が見つかるのではないか。
そういう微かな希望を捨てきれません。
一方たくさんのチューブにつながれて
苦しそうな姿を見ているのは辛い。

医師は本人や家族の気持ちを無視
して、過度に延命させようとしている
のではないか。
尊厳ある死に方を本人は望んでいる
のではないか。
家族の気持ちは葛藤の繰り返しです。

延命治療を希望した家族も、希望し
なかった家族も、後に決定がそれで
良かったのかと悩むこともあります。

リビングウィルには大きな難しい
問題点がありそれをクリアして有効
なものにするには
次のことが重要です。

★推奨される書式できちんとした
リビングウィルを作成すること
★家族や医師の同意を得ておくこと

【推奨される書式できちんとした
リビングウィルを作成する】
現在の医療現場ではインフォームド・
コンセントが重視されており、
病名や治療法、予後などについて
説明すると共に、死期が迫った際
に延命処置を行うかどうかの承諾を
得ることが一般的です。
事前に延命処置の中止を承諾して
いない場合は延命処置を行います。
医師は、回復の見込みのない患者
への延命治療に疑問を感じても、
後でもめることや訴訟に至る可能性
を考えて、可能なかぎり延命治療を
行ないます。
とくに事故などで意識不明の状態で
運び込まれた患者に対する延命処置
は、一旦始めると患者が生きている
限り止めるわけにはいきません。
途中で止めると、前の問題点1の
殺人罪に問われる可能性もあるから
です。

しかし
世界医師会総会で採択されたリスボン
宣言によれば、
患者には良質の医療を受ける権利、
治療法選択の自由、自己決定権
などの権利があるとされています。
それは判断能力を有する当人が意思
を表明している場合または
事前の意思表示がなされている
場合のようですが。

つまり、患者には
“どんな医療を受けるか選ぶ権利がある”
“自分の生き方、身体に関して自己決定
の権利がある”
ということです。



「リビング・ウィル」 医療現場の実例に学ぶ


QOD関連

「リビング・ウィル」について
日本看護協会のHPに事例紹介
がありました。
看護職として実事例を通して
どのように対応すべきかを検討、
勉強する題材のようです。

実際の現場において発生したこと
を題材にしたストーリーで、我々
患者側からは知りえない、医療側
のジレンマや悩みもあることも知り、
改めて考えさせられました。

「リビング・ウイル」が明確であった
としても患者側、家族側と治療側の
立場で考えが異なる。
また患者の最後の一言が聞き手に
より理解が異なることが現場では
発生しうるということです。

特に以下の文章が気になります。

病人本人の
「苦しいのをとってほしい」という
言葉を、医師や看護師は
「命を助けてほしい」と解釈する
のに対し、家族は「この苦しみから
早く解放してほしい」と受けとめる
可能性が高い。

さらにまとめとして
リビング・ウィルを準備する患者は
今後増えてくると思われる。
病院全体として、倫理委員会等で
その扱いについて検討し何らかの
方針を決めておくことが望まれる。
その方針は、職員のみならず、
患者にもわかるようにしておくこと
が大切である。

リビング・ウィルについては病院側も
今取扱いについてのプロセスや判断
基準を示すようにしていくことが必要
ということ。

あと自分が最後に話せる状態であれ
ばなるべく明確な言葉を選ぶように
したいがこればかりは確約できない。

延命措置拒否のリビングウィルを持った救急患者の意思決定

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